もしも、地球の先祖がわたしたちの文明を観察したならば、彼らの眼にはどう映るだろうか。
進化と遺伝子配合を経ているために肉体の見た目は少々違うが、わたしたちは多くのDNAを引き継いでいる。
四肢に、頭部。
頭部には横に並ぶふたつの眼。鼻に口。
これらの要素によってひとめ見て「人体」と認識するだろうし、
それに物理的に関わって時間を過ごせばしだいに見た目の違いにも慣れて
親しみすら感じるだろうな。
それで、この惑星の暮らしを見せることができたなら
「なんだ、ずっとずっと未来の暮らしはどんなものかと思えば
ほとんど未開人じゃないか。」
…なんて言うのかも。
それもそうだ。
先祖たちは何世紀にもわたって想像力豊かに地球外知的生命体が登場する「サイエンス・フィクション」の創作物を生み出し、発表した。
実話に基づく物語や、
実話と想像が入り混じった物語…
その中のいくつかが描く地球外知的生命体はテクノロジーを武器にお互い戦って見せたり、支配して見せたり、
(充分に知性の高い存在は支配を試みないというのは、自分たちで人工知能デバイスを作り観察の末わかったのだけれど。それはもう少し、後のこと。)
あるいは “高度に発達した都市”像を描いたりしていたから。
雲にも届く背が高く銀色に輝く建物が幾重にもそびえ立つ、そんな都市を。
それらの描写とはうってかわり、
この惑星の表面はほとんど自然のままに保たれ、
地球よりもさらに多くの動植物が共存している。
彼らがここに見るのはまるで原始の村社会。
小さなコミュニティと、堅牢な建物の内部ではなく自然の中で過ごす人々の姿。
人々が密集して暮らす都市の形や、たくさんのルール・法律はとうの昔に機能を終えた。
だから仮に20世紀に生きる地球人を連れてきたとして、
彼がこの惑星の人々を見て「未開人じゃないか」と最初に思ってもふしぎはない。
(人々は惑星の表面よりも宇宙船に多く暮らしているしね。)
そうだそれに、
「宇宙未開人(!)の人々は随分と静かだなあ」
とも感じるだろうな。
音声でコミュニケーションするのに慣れているもの。
まあ、そのうちテレパシーで語りかけるのにも慣れるだろう。
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文字を使うこの記録、
もしも彼らがこの惑星を見たらどう感じるのか、想定するのっておもしろい!
続けてみよう。