職業ってなんだろう。
職業=たまたまの活動
仮に。
わたしがたまたま小麦粉や塩を仕入れ、パンを焼き、並べる活動を日々していたら…
そのパンの対価として人々がお金を差し出し、受け取っているのなら…
わたしは〈パン屋さん〉と自称し、他称されるだろう。
体があるし、気力もあるし、
活動をして生きるのは自然なこと。
たまたまの活動を通して
なにかしら役割を果たしたり、
役割が変化したり、
いくつかの役割を担ったりする。
〈パン屋さん〉のわたしは、
経営者であり、ある人物の配偶者であり、父であり、息子であり、兄であり、友人であり、元同僚であり、ドライバーであり、患者であり、外国人であり、客である。
「銀行員辞めて、パン屋やってます〜」と、
私たちがかつてしていた活動や、今日果たす役割を説明するために
多くの人々が共通で了解する役割に呼び名、つまり職業名をつけるのは便利だ。
役割を情熱的に楽しんでいる自分も、いる。
役割を担う自分はいるけれど、
自分が何かに”なる”ってことではない。
あたりまえのようですが
「おおきくなったら何になりたい?」と
質問を投げかけられたこの人物は
すでに100%、彼自身だ。
生まれてから10年も経っておらず
あなたよりも40年以上も後に生まれた、
いわゆる”おおきく”なる前の彼。
彼以外の何かに”なる”日は、来ない。
私たち全員がそうであるのと同じに。
おおきくなっても、なっていなくても
毎瞬、例外なく彼自身なのだ。
おおきくはない、
つまり大人ではない、
子どもの彼は今も活動をしている。
大人か子どもか、ほとんど意味らしい意味はない。
「おおきくなったら何になりたい?」
質問に期待されているかもしれない答えはご用意できないが、
試みます。
おおきくなった時、どんな活動をしているのか?
その活動は2019年現在、すでに誰かが始めているのか?
彼のたまたまの活動に、たまたまどんな呼び名をつけるのか?
その時に初めてわかる。
言葉を覚えたての彼が
「お姉さんになるの、サッカー選手になるの」と告げるなら、目を細くする。(これは実際にあったこと。)