同じ言語で話せる人との出逢いは嬉しいものです。
ずっとずっと昔から知り合いだったかのような気持ちになります。
もうお分かりかと思いますが、ここでいう〈同じ言語〉とは日本語や英語やヒンディー語といった、口語や文語でのコミュニケーションツールとしての言語のことではありません。
例えば、数学者たちにとっての共通言語が数式であるように。
概念を共有する人たち同士を
ここでは〈同じ言語〉で話すと表現しています。
初対面で、言葉を交し始めてすぐに
「ああ、この人は1言えば10わかっている」という感覚。
こんな経験を誰もが一度はしたことがあるでしょう。
お互いの母語が異なっても、です。
昔から”類は友を呼ぶ” ということわざがありますが、このことわざ通りの現象がますます顕著になっています。
言い換えると、〈同じ言語〉を話す人同士がますます引きあうようになっています。
この文章を読んでいる方々の中にはご自分が誠実に話をしても相手に理解してもらえず、寂しい思いをしてきた方も多いことでしょう。(書き手Lisaもそのひとりです)
これからの時代、私たち(Lisaとハイヤーセルフ)は”あたらしい地球”といつも言っていますね。
あたらしい地球では自分がオープンに、正直に、誠実でいてかつ話が通じる人たちとどんどん出逢ってゆきます。
または全くの初対面でなくとも、数十年ぶりに再会した知り合いと意気投合する。という類の経験もするでしょう。
自分と〈同じ言語〉を話す人々と仲間になってゆきます!
さて、今回のテーマの〈同じ言語〉についてもう少しよく見てゆきましょう。
自分がどんな言語を話しているのか、に
より意識的になることをお勧めします。
なぜなら、先ほどもお伝えしたように自分と〈同じ言語〉を話す人々が仲間になるからです。
自分が優しい言語を話せば、優しい仲間
自分が制限の言語を話せば、制限をかける仲間
自分が受容の言語を話せば、受容する仲間
自分が批判の言語を話せば、批判する仲間
自分が愛の言語を話せば、愛の仲間 …と一緒にいることになります
どの言語が良いor悪いということはありません。
全ての現象は中立/ニュートラルです。
それは言語にもいえます。
自分は愛の言語で話そう、と決めてしまえば
愛の仲間と一緒にあたらしい地球を生きてゆけます。
想像するとわくわくしませんか。
こうしなさい。こうあるべきだ。…というのでもありません。
シンプルに、自分の話す言語がそのまま自分の周りの仲間に反映されるというだけです。
〈世界の取扱説明書〉を読み上げているようなものです。
無条件の愛と共に〈トリセツ〉を読み上げます。
♡ Lots of Love from Lisa and her Higher-self ♡