お盆。
肉体を離れた方々を想う時期に。
死んだらどうなるのか、何がわかるのかを簡潔に解説します。
ぜーんぜん怖くないですよ〜 ^^
お子さんに「ねえねえ、死んだらどうなるの?」と聞かれたら、どう回答しますか。
存在が消えてなくなる
良いことをしていたら天国に行く
悪い人は地獄に落ちる
あの世はこの世とほとんど同じ
死んだことないからわからない
地域や文化や宗教によってバラエティ豊かな回答がされてきました。
1億人いたら1億人、いずれは肉体を離れる時がきますね。
100%です。
死を話題にするのって不吉とか、縁起でもないとか… タブーな捉え方をするのは終わりの時代ではないかと思うのです。
だから誰が亡くなっても悲しむな、という意味ではないですよ〜
深い関係の人が亡くなったら、感情として悲みを体験するのは自然なことです。
ただね、
正確な理解をしていたらせずに済む、むやみな恐れや嘆きはそろそろ手放してもよい頃みたいです。
死んだらこうなる
死の瞬間はほーんとうに気持ちがいいです
病気や怪我で苦しんでいた方は
肉体を離れるので
痛みや苦しみからすっかり解放されます
はじめはぼーっとして、よくわからないかもしれませんが
いずれわかります
「話しかけても誰も応えてくれないし、みんなしくしく泣いてるし、自分のお葬式やってるなあ」という感じでわかったりします
この辺りの体験は個々人で異なります
生前に強く信じていた死後の世界があるのなら、しばらくは信じていた通りの体験をします(天使と会う、地獄に落ちる、無になる…など。 どんな存在も無にはなれないのですが!)
意識が上がって行く感覚
光、心地よさ、親しみのある存在との再会 ←おなじみ
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ここまではよく語られるので皆さんよくご存知かと思います〜
ここからが本題?ですかね
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(肉体の次元での)自分は死んだのだと理解すると
同時にわかります…
意識はずっと続いているから
命の終わりという意味での”死”はないということ
そもそも死ねないんだということ
本当の自分自身は肉体よりももっともっと広く大きな意識だということ
ちっぽけな(けれど地球を体験するには欠かせなかった乗り物である)肉体が“自分”だと勘違いして縮こまっていたんだということ
そして、
”生きて”いた時よりも
いきいきしています(!)
いわゆる”生前”に抱えていた
こだわりや悩みや恨みや執着なんて
どーーーーだってよくなります
幸せで満たされ、愛を感じているからです
(残されたパートナーには新たに相手を見つけて幸せになって、と伝えられるのはそのためです)
時間や空間や重力に制限されていた
重い重い肉体を離れ
軽やかな意識で
自由です
表情を見られるとしたら
にこにこしています
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なぐさめるつもりじゃないよ
きれいごとでもないよ
夢物語でもないよ
そろそろ死生観がシフトする時
生と死について、地球上の私たちはこれまでちょっと特殊な捉え方をしてきました。
あまりにも「生」や「死」を特別扱いし、重要視しすぎていた節があります。
そうそう、こういうお話をすると「では命を軽く扱ってよいのか!」と捉える方がいます。
もちろんそんな話ではないですよ〜
本来、永遠の存在である私たちです。
その存在を”スピリット”と呼びましょう。
スピリットが肉体ならではの体験をしに来ている。それだけなのです。
スピリットはどこまでいってもスピリットです。
肉体あるなしに関わらず、です。
生と死について普通に事実を知り、地に足をつけて肉体付きの体験をしていける。そのシフトの準備ができてきた。それくらい地球上の私たちの意識が上がっているんですよ〜 yay yay ^^
で、ここに私が書いていることなんて常識すぎて誰も見向きもしなくなります。笑
正直、すでに常識をただそのまま書いているような気がしてならないのですが!
今私の周囲は下の全てのタイプの反応をいただく感じです。
「スピリットが永遠なんて、当たり前。そりゃそうでしょ〜」派
「もしかしたら君の話は本当かもしれない…う〜ん」派
「まあ個人の考えはそれぞれだから。それはりさちゃんの考えでしょ」派
「死んだ後のことなんでわからないだろ!適当なことばっか言って!」派
本当に、信じなくたって聞いてくれなくたってぜーんぜん良いのです!
ざっくり体感ですが近頃の傾向として
「スピリットが永遠なんて、当たり前。そりゃそうでしょ〜」派 が増えている感じがします〜
生と死は小説、A TRIPのテーマです。
寿命やその先のことはまた折を見て書こうかな…
♡ LOVE YOU ALL ♡
Starseed of MotherEarth Lisa