前回の記事「BARでハーブティーを飲みたいのだ – ソフトドリンク100%生活」のつづき。
補足5:社会的動物、人間が感じる社会的圧力
わたしがお酒を口にしていた最大の理由。
よく接する周囲の人の行動がスタンダードと感じるのが人間の習性。
人類は群れで暮らすよう進化してきた、社会的動物(social animal)なのだから。
地域や家庭環境、職場環境、親しい友人知人の生活スタイル… に影響を受ける。
自分以外の全員が酒を飲む会では、付き合いで “最初の乾杯のビール” を口にすることがまま、あった。
体質的に酒が飲めない訳ではないし、
社会的動物がゆえに周囲にある程度合わせるのは関係をスムーズにするし、
まあ一杯くらいはよいだろう。
そう思っていた。
けれど、やっぱりどこかでもやっとしていたのだ。
“飲酒がデフォルト”な社会的圧力が生きるコミュニティまだ残っているし、これからもしばらくは残り続けるだろう。
(言う本人にそのつもりがないのは、わかる!)
飲み会で酒を断ると「付き合いが悪い」表現をされたり
たくさんの酒を飲む人に対する「いいね、飲めるね〜!」とちょっと評価するのも、
声の大きさと比例する圧力。
「酒の席だから…」とか「酒を飲んでいるからできる話」のように
酒が入れば言動や会話の内容すら特別扱いされるのもなんか…違う。
この実験を始める前にもわたしだけソフトドリンクで参加する会はよくあって、
いろいろな反応をもらってきた。
わたしがソフトドリンクを飲む同じ席でお酒を飲む人に申し訳なさそうにされたり
「いいじゃん飲みなよ」と促されたりする。
「今度、飲みましょう」という誘い文句には口では「はい」と答えつつ、
「その今度、飲むものは…お茶でも異存ありませんか…?」と心中の小さな声。
皆が酒を飲む集まりで、わたしひとりが終始ソフトドリンクを注文していても
自然に始まり終わる会。
… などなど!
みんながそれぞれ好きなものを飲み食いし、
会話するなり、会が運べばそれがいい。
補足6:自分を大切にするとは
補足5の冒頭で触れたいわゆる “付き合いの乾杯ビール” で感じる類の「もやっ」。
たとえ小さな、ちーいさなもやっだとしても、
そのままにしておくのは自分が可哀想だ。
シンプルに、この存在(自分)に可哀想なことをするのではなく、大切にしたい。
加えて、酒を飲んだ翌日の体調に必ず負の影響がある。
ウィスキーへも顔は赤くならず、アセトアルデヒド分解酵素はよく活性している…はずだ。
わたしは遺伝的に酒に弱い体質ではないと推測する。
だとしても、大抵は酒を飲むと翌日は寝不足も手伝い100%の自分ではいられない。
肝臓がアルコールとアセトアルデヒドの分解にエネルギーを使っているのだから
「自分は大丈夫」と宣言したところで身体にも精神にも影響はある。
影響を許すのはなんだか、自分を大切にしていない、と感じてきた。
酒を飲み、帰って寝床へ潜り込むと夜な夜な
「ごめんね」
声をかけ腹をさするわたし。
身体にいらぬ負担をかけたことが申し訳ないのだ。
ソフトドリンクのみで会を終え帰宅、歯を磨き、入浴し、就寝。
翌日もすっきり目覚め、活動できる方が
わたしにとって自然だし心地がよい。
そういうことで、
自分をもーっと大切にすることにした。
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ただいま「ソフトドリンク100%生活」実験開始から約2ヶ月。
手に持つグラスの液体がソフトドリンクだったり酒だったりの素敵な方々と
楽しませてもらっている。
どこかのタイミングで経過報告したい!