「えーー 全然そう見えないね!」
「意外! そんな感じしないなあ。」
わたしが不登校児だったと知ると、人からよくよく言われる。
まあ、そうかもしれないですね、くらいにして特に気に留めていなかったのだけれど、
この手の反応をざっくり5回程いただいたあたりから、
彼らの言う”そう”とか”そんなん感じ”に込められた意味を考えてみた。
その言葉を発した人の中に「不登校の子、学校に行けない子ってこんな感じ」というイメージがあって、
それが今のわたしから受ける印象とギャップがある、ということらしい。
今のりさはまあ初対面の人とも話せて、
人付き合いも悪くなく、
口数も多く、
他人と日々接しながら仕事をしている。
その反対のイメージを持っていると想定すると..
初対面の人とか慣れていない人とは話せない
人付き合いが苦手、
話すことも少なくて、
人と接する仕事は難しい
頭の中で「不登校」と記したラベルをつけ、「カテゴリー:不登校児」に照らし合わせたイメージの人の挙動と、目の前にいる人(=りさ)のそれが一致しない..
そこで出てきた言葉が
「意外!」であり「そう見えない」なのではないか。
英語表現 Labeling
英語で”labeling(または labelling)”という表現があります。
そのまま「ラベリング」と読めるのでわかりやすい。「レイベリング」または「レーベリング」と発音するほうが音は近いかな。
labeling:はり紙、付箋、ラベルづけ
/léɪbəlɪŋ/
心の目で見ている人に(想像上の)目に見えないラベルをきゅきゅっとくくり付けてゆく様子の絵が浮かぶ…
要するにレッテルを貼ること。
ラベルはその「ラベルを貼られたもの」を単純化する
「レッテルを貼る」で辞書を引いてみると下記の説明。
レッテルをはる【レッテルを貼る】
主観に基づいて一方的に評価・格付けしたり、分類したりする。 「問題児の-・られる」
大辞林第三版 三省堂より
例文に「問題児のレッテルを貼られる」が出てたりとネガティブな意味合いで使われることが多いよう。
ただ、日々触れる話し言葉、書き言葉を見渡してみるとネガティブなイメージの事柄に限らず、あらゆることに心の中でラベルをつけていないか?
書類整理に便利なあの文具のラベルならぬ、「心のラベル」
少し意識して、視界に入る人々に自分がどんな心のラベルをつけ、カテゴリーの箱にぽいぽい入れていっているのか。
初対面の人やただすれ違うだけの人にもせっせとラベルをつけている。分類、分類。
「女」「男」
「小学生」「サラリーマン」
「優しそう」「怖そう」「真面目そう」
心のラベルに(自分で)表記した
カテゴリーに入れると、とたんに単純になる。
単純=シンプル
↓
シンプルになると、わかりやすい
↓
わかりやすいと、安心する
…だけども、心のラベルをつけて安心したら肝心のその人がよく見えるようになるかな?
そのラベルに対して抱いているイメージ、行動を期待してはいないかな?
(○○するだろう、○○するべき、○○するべきではない)
ラベルにあてはまる人に対して感情を投影してはいないだろうか。
(好き、なんか嫌だ、「このタイプの人は苦手なんだよなあ..」)
これ、本能ともいえる。とめどなく入ってくる情報を心のラベルをつけて、分類、つまりは単純化しなければわたしたちの脳細胞は稼働しすぎてオーバーヒートしてしまうのかも。
また、そのラベル=カテゴリーの集団を集めて特徴を探せば統計的に優位な項目もあるでしょう。例えば出身文化圏とか、生物とか、世代とか。生物学的にでも脳科学的にでも説明がつくかもしれない。
ただ、目の前にいるこの人が、
名刺交換したこの人が、毎日すれ違うメガネの青年が、数年ぶりに会う従兄弟の子どもが、
ラベルに書いたカテゴリーのなかで多数派の特徴を持つか、平均値なのか??
あてはまれば「やっぱりー!」
だけど
あてはまらない場合は「変わってるね」で片付けてはいないかな。
肩書きとか年齢とか性別だとかのカテゴリーを越え、
人と人として向き合える。
もっと面白くて深い人間関係が築ける。そう思う。
豊かで、長く続くお付き合いはそこからはじまるかも。
心のラベルを利用してなりたい自分になる方法(ラベリング効果)については次の記事で書いてゆきます。
ありがとうございました!それでは、また^^